口唇口蓋裂は妊娠中のエコー時に知ることができるらしいです。
でも、私の場合は娘が産まれてくるまで知りませんでした。
それが担当してくださった医師による判断なのかはわかりません。
エコー写真の確認は計6人
私は妊娠35週目で、妊娠高血圧症(妊娠中毒症)と診断されました。
元々は自宅近くの個人病院で出産予定だったのですが、診断されたその日のうちに大きな病院のMFICUに入院。
なので、お世話になった先生は妊娠中と出産時で異なります。
でも、いずれもそういった類のお話はありませんでした。
こんな感じで顔を隠した状態が続いていた娘。
なので、判断しにくかったというのもあると思います。
入院時のくわしいお話は、365.Mという別のブログで記事にしています。
先生の対応が良かったのかもしれない
分娩時、娘の顔が先生たちから見えたときのことです。
「お口のところ切れてるねえ」
「でもこれなら形成の先生がキレイに治してくれるわ」
と、先生がおっしゃっていたのが耳に届きました。
口唇口蓋裂という名称は後から知ったくらいです。
この時はそういう症状があるということも知りませんでした。
なので、私は先生の言葉通りに受け取り
「ああ、お口のとこ切れちゃってるのかあ」
「でも綺麗に治してくれるんだあ」
程度にしか思っていませんでした。
実際、生きて会えたことがなによりもうれしいという思いが先行していたんです。
だって妊娠中にいろいろやらかしちゃってたんですもん。
挙げ句、正産期間近で入院。
ここまで来て会えないかもしれない可能性だってあったんです。
なのでお口のことくらいは気にも止まりませんでした。
母が帝王切開、私が仮死産での出生。
私も分娩時になにかあるんじゃないかと不安があったんです。
でもそんな不安とは別に、すぐに元気な泣き声を聞かせてくれた娘。
私にその姿を見せてくれて「ありがとう」という気持ちと、会えた喜びでいっぱいでした。
だから「障害を持って産まれてきたことに対して受け入れられない」という気持ちが私にはありませんでした。
周囲の言葉が逆に辛く感じてしまう
そんな気持ちだったからこそ、周囲の言葉に傷つくことがありました。
もちろん誰も悪意を持って言っているわけではありません。
私や娘を気遣うものだとわかってはいるんです。
でも産後のボロボロのメンタルでは、受け止めきれない言葉もありました。
病院なりの配慮だとはわかっていても…
出産時にお世話になった病院は、母子別室。
なので初めて授乳に行く際
「以前、同じ障害を持つお母さんに、他の子と別室にしてほしいと言われてからカーテンを用意するようになったんですけど、どうされますか?」
と、看護師の方に聞かれました。
そのときの私は、どうしてカーテンをする必要があるのかわかりませんでした。
後々、母の言葉でその意味を理解することになります。
ただ、不要と伝えても単にカーテンがないだけの孤立状態。
他の母子とは少し離れた場所で、私だけ壁際に向かって授乳を行うことになります。
病院側なりの配慮だということはわかります。
それでも他とは違う扱いに疎外感を強く感じ、とても寂しい気持ちでした。
身内からの言葉
極めつけに、母親から「羊水検査はしなかったの?(※羊水検査で口唇口蓋裂の判断はできません)」と「写真を撮っても人に見せちゃダメ」という言葉を投げられました。
本人に傷付ける意図がないことはわかります。
性格上の純粋な疑問と言葉だというのはわかってはいました。
でも実母からそんな言葉が出てきたということがとても辛かったです。
好奇心で見てきたり、心無いことを言う人もいるんだから。と。
娘を思ってのことだと理解していても、その言葉を投げられたことに対してとてもショックが大きかったです。
励ましてくれていたとしても
さらに先生からの「(障害を持って産まれてきたことを)受け入れられないお母さんもいるけど、かわいいでしょ?」という言葉。
もちろん、かわいくてかわいて仕方ない我が子。
ずっと会いたかったんです。かわいくない訳がないです。
ただこの言葉は、それまでのことが重なった上での言葉。
なのでどんどん自分に自信がなくなってきました。
まだ産後から一週間も経ってない浅い月日。
不安定な時期というのもあったんだと思います。
同じように障害を持った子を産んだ人の話を検索していると
「ショックを受けるのは当然のことで、それだけその子のことを愛しているから起こる感情」
と、話している方がいらっしゃいました。
その言葉はその時の私にしてみれば相当破壊力のある言葉でした。
ショックを受けなかった私は娘を愛せていないのか。と。
ただでさえ、これから手術やら通院やらで他の子よりもしんどい思いをさせてしまうことに対して申し訳ない気持ちでいっぱいなのに、追い打ちをかけられているようで涙が止まりませんでした。
夫の言葉がなによりも安心できた
それでも、退院する頃には少しだけ前向きに考えられるようになりました。
やっぱり元気に産まれてきてくれたことがなによりもうれしかったです。
元気に一生懸命生きようとしてくれてることが堪らなく愛おしく感じました。
そう思えるようになったのも夫のお陰です。
夫が掛けてくれた言葉が、とても温かかったお陰だったと思います。
「ぼくとみいちゃんのところなら大丈夫やと思ってきてくれたんやで」
障害があったとしても、自分たちのところに来れば安心して生きていけると思ってくれたから自分たちの元にきてくれたんだ。と。
子供は親を選べないとよく言います。
でも娘が自ら私達を選んでくれたんだと思うと、ただでさえ会えたことが嬉しいのに、さらに嬉しくて堪りませんでした。
娘本人が言ったわけではありません。
でも他の人の言葉に傷付いていてばかりだったので、そう言ってくれたことがとてもうれしかったです。